外岡 勝彦 の BLUGRASS音楽講座

カントリーミュージックとブルーグラス

 

カントリー或いはカントリー&ウエスタンと呼ばれる音楽は、アメリカポピュラー音楽の中で主流の一つですが、何故か日本ではホットなイメージがありません。

カントリーというと多くの人はカウボーイを連想すると思いますが、それはあくまでもハリウッド映画が作り上げた「西部劇」の影響であって、本来のカントリーミュージックとはそれほど深い関係にはなく、そのルーツはかつてアメリカ南東部のアパラチヤ山系に入植したイギリスのスコットランド人やアイルランド人達が祖国から持ち込んだ民俗音楽なのです。

それではカントリーとブルーグラスとの関係はというと、カントリーもブルーグラスも同じルーツから派生した音楽です。

通常ではブルーグラスも含めて一緒にカントリーという言い方が一般的ですが、ブルーグラスはカントリーに比べより伝統民謡的な部分を保ち続けて発展し、1940年代にビル・モンローというミュージシャンが一つの音楽ジャンルとして確立しました。

それに対し、カントリーは様々な音楽を取り入れて大衆音楽化し、変化し続けているタイプのもので、1947年にレコードデビューしたハンク・ウィリアムスによって爆発的に広がりました。

カントリーとブルーグラスでは使用する楽器にも違いがあり、ブルーグラスは5弦バンジョー、マンドリン、フィドル(バイオリン)、ギター、ベースがオーソドックスな編成で、何れの楽器もアコースティック(電気による音の増幅をしない)が基本です。 一方カントリーではバンジョー、マンドリンに変わってペダル・スティールギター、エレキギターといった電気楽器が主役で他にはドラムが、時にはピアノも入り近年のロックと変わらない編成となっています。

次にカントリーとブルーグラスはどのようなルーツなのかもう少し見ていきましょう。

カントリーミュージックはアメリカ大陸開拓の歴史と深い関係があります。1500年代後半からヨーロッパ諸国からアメリカへの開拓・植民が始まりましたが、イギリスからは1607年にイングランドのロンドンから105の植民団が入植したのが最初です。 そして1620年にはイングランドのピューリタン(清教徒と呼ばれるプロテスタント)102名が祖国からの宗教弾圧を逃れて移住します。

このような初期の植民者達は豊かな鉱産資源に支えられたニューイングランドと呼ばれるアメリカ最北東部の6洲を始めとして東海岸や五大湖沿岸に開拓を進め、やがてここに都市を建設していきます。

そして後に入植するイギリスのスコットランド系やアイルランド系の植民者達は祖国の農作物の凶作により、或いは祖国での宗教対立により国策としてやむなく、或いは新たな生活を新天地に求めてアメリカに渡った人々でその多く農民でした。彼等は新天地の農地の開拓を目的とし、開発の遅れているアパラチヤ山岳地帯を開拓してやがてそこに定住するようになりました。     (  アパラチヤ山脈は、北端をカナダに発し北アメリカ大陸の東部を縦断して南部はアラバマ州の中央部に至ります  )産業は林業、農業、石炭などの鉱業で彼等の生活は大陸北東部の都市を中心とする工業地帯に住む人々と比べて経済的には貧しく、生活は質素で素朴そして強い宗教心を持っていました。

彼等が故郷のイギリスやアイルランドから携えてきた文化や民謡は口伝えによって人々にそして子孫に受け継がれていき、やがてその音楽は後にマウンテンミュージック、オールドタイムミュージック或いはヒルビリーと呼ばれるようになりました。

このアパラチヤの閉鎖的な地域の音楽に変化を与える大きな契機が訪れるのはレコードやラジオの普及です。

1877年にエジソンが蓄音器を発明しレコードを発明。1906年(M39年)にマサチューセッツでラジオ放送が開始、1920年(T9年)ペンシルベニヤで一般向けのラジオ放送が開始されてからこの普及によってアパラチヤの音楽は南部以外の都市部でも聴かれるようになり、やがて北米全土にその存在が知られるようになったのです。

それ以降のカントリー(正確にはこの時点ではまだカントリーとは呼ばれていませんが)はレコード会社、映画会社、出版会社等の商業目的として一つの産業(ビジネス)へと変化していきました。

1925年(M45年)

テネシー州ナッシュビルのラジオ局WSMが「グランドオールオープリー」というカントリーウエスタンショウを毎週土曜日の夜に全米ネットで放送開始。

1927年(S2年)

カントリーのパイオニア、ミシシッピー州出身のジミー・ロジャースとバージニヤ洲出身のカーター・ファミリーが最初のレコード録音をおこなう。

1938年(S13年)

ケンタッキー州出身のビル・モンローがブルーグラスボーイズを結成、従来のマウンテンミュージックをよりドライブ感を強調した独自の「ブルーグラスミュージックとして確立、商業ベースにのせる。・・・ビル・モンローのバンド名がブルーグラスボーイズといったこと、彼の出身地がブルーグラスステイトと呼ばれたことからこの音楽スタイルをブルーグラスと呼んだといわれている・・・

1947年(S22年)

アラバマ州出身のハンク・ウイリアムスがレコードデビュー、一躍スターとなりカントリーという音楽スタイルを全米に広げる。

・・・1940年代後半にカントリーという名称が登場した。その名称が一般化したのは更に後年になる・・・

1955年(S29年)

エルビス・プレスリーの登場。

ミシシッピー州生まれのエルビスはカントリー出身の歌手で、黒人のリズム&ブルースとハンク・ウイリアムスに代表される白人カントリーを融合させてロカビリー(ロックンロール)という新しい音楽ジャンルを世界中に知らしめる。

1958年(S33年)

ウディ・ガスリー、ピート・シーガー、ウィーヴァーズらの活動を序章としたアメリカン・フォーク・リバイバル ( フォーク・ブーム ) が起こり、キングストントリオの「Tom Dooleyの大ヒットで60年代に大きく花開く。こうしてみるようにカントリーミュージックのルーツは古いものの、コマーシャルベースに乗ってからはまだ70年あまりの新しい音楽でもあります。アメリカの現代音楽の源流がカントリーミュージックにあることを知れば日本でも、もっとカントリーが、ブルーグラスが聴かれるようになればいいのにと思うばかりです。

(参考)

「ブルーグラス」まとめ

1.       曲のテーマ

@一週間の労働の疲れを癒すために集まってスクエアダンスを踊ったり歌ったりして馬鹿騒ぎするバーン(納屋)ダンスパーティーのバック演奏の類い。

A祖国から運び伝えられた故郷の伝説や物語、アメリカで新たに作られた家族や恋人友達との生活の歌、美しい南部の山々や田園の土の香りがする歌

B讃美歌、植民者独自により新たに作られた神を讃える宗教歌

2.特 長

@リズムとコード構成においてほとんどの曲は一貫したパターンにより定型化されており、演奏者全員が一丸となったアンサンブルを大切にしている。

Aハイロンサムといわれる高いピッチ(キー)での歌唱が多く、2部3部のハーモニーで歌われることが多い。

Bエキサイティングでドライブ感のあるアップテンポの曲が多い。一方で哀愁感漂うナンバーも数多い。

 

                               以 上

inserted by FC2 system