ブルーマウンテンボーイズ(BMB)について
「ブルーマウンテン ボーイズ」は1961年(S36年)に初代が結成し、1986年(S61年)にお茶の水「日仏ホール」で解散コンサートが行われるまでの26年間(24代)の長きにわたり、青山学院大学系音楽同好会(AMS)の中で活動しました。 BMBの成り立ちは、‘60年(S35年)に後のBMBを結成することになる先輩3人が入学した時に始まりました。 最初は趣味の集まりであった「カントリーミュージックを聴く会」でレコード鑑賞しているうちに「自分達でもバンドを・・」ということになりました。学院内に2〜3のカントリーバンドが出来ていく中で、ブルーグラスの好きな仲間で作ったのがBMBというわけです。
当時、楽器が弾けるのはせいぜいギターくらいで、「全員がギターと唄をやりたい」といった有様だったそうです。バンドとしての形が出来たのは’61年(S36年)の暮れ頃になっていました。
ブルーグラスの編成で固まったバンドは、たちまち腕を上げ、当時都内で最も人気の高かった、学生主体のカントリーとブルーグラスの音楽会「オールUジュビリー」に出演をはたし、学生ブルーグラスに「青学にブルマンあり」と印象付けるまでに至ったのです。
そして、‘62年(S37年)に2代目となる私たち5人メンバーの内4人(井口、岡田、三神,外岡)が入学しました。高等部から来た井口と三神は既にBMBを知っていましたが、岡田はブルーグラスをやりたくて青学大を受験したほどの音楽好きでありました。そして翌年’63年(S38年)5月に六角(・・・六角は3代目、4代目BMBにも参加〜やがて卒業後はプロミュージシャンの道に進むが2011年に没)が加わったところで、5人編成のブルーグラス・スタイルのバンドが完成し、本格的に音楽活動をはじめました。
明けて‘64年(S39年)4月に晴れて初代からBMBを引継ぎ2代目BMBとなるや、折柄のフォークソングブームとも相まって、マイク真木、小室等、森山良子らとともに’64年〜‘65年(S40年)の約1年数ヶ月間は学生カントリー&ウエスタン音楽界をリードしました。一方青学大のバンドとして県人会主催の地方音楽会、夏の広告研究会の富浦キャンプストア、TBS大学対抗バンド合戦等々・・・数々のステージを経験し、正に八面六臂の大活躍をいたしました。(下記プログラム参照)
4年生となった‘65年(S40年)4月に3代目BMBにバトンタッチ、第一線を退きました。就職活動が一段落した10月に六角を除く4人で新たに「YAVAX」という「面白風ウエスタン&ブルーグラスバンド」を結成し、卒業までの僅かな期間を楽しんだものです。
卒業後はそれぞれサラリーマン生活で、会うこともままなりませんでしたが、50歳を過ぎた頃から少し余裕が生まれてきたのでしょうか、時々演奏のチャンスがあり、最近は18代目のフィドルの阪野も一緒に都内で年に2〜3回のライブ活動をしています。
発足当時のエピ−ド
昭和40年に[FAMILY JAMBOREE]というウエスタン・フォーク・ブルーグラスの学生コンサートイベントが始まりました。当時は学生主催のフォークコンサートがいくつかあり、これが現在のィベンタートの始まりでした。それまではいわゆる興行師がコンサートを仕切っていましたが、素人学生が仲間のコンサートの主催をし始めたのがこの頃でした。「ステューデント、・フェスティバル」「ジャンボリー・ザ・ノミ」「オール・ユー・ジュビリー」などがその草分けでした。現在のMS(ドリカムのプロダクション)の原点は、「ステューデント、・フェスティバル」で、金子洋明さんが創始者であり、また出演メンバーでもありました。
下の資料は「FAMILY/JAMBOREE」クリスマス特集のチラシと1回目の貴重なプログラムとです。その頃ブルー・マウンテン・ボーイズ2は後輩にその名前を譲りゲスト(YVAX)として出演していました。何とあの細野晴臣氏が「The Oxdrivers」に、「Modaern ForlkQuartet」にはマイク真木、PPMフォロワーズの小室等、森山良子など後にプロとして活躍するメンバーが出演していました。
上記ちらしは「Christmas Folk Festival」昭和39年のものです。
画面クリックで拡大。 上記プログラムは「FAMILY/JAMBOREE」第1回目昭和39年のものです。下記は「JUNIOR・JAMBOREE」「STUDEN'SFESTIVL」のプログラムです。 BLUE MOUNAIN BOYB JUNIOR・JAMBOREE STUDEN'SFESTIVL
1965JUNIOR J. その2 その3 STUDEN'S FES. その2 BMBリユニオン
それぞれ皆会社勤めをして、楽器はほとんど触らなかったかと思います。逆算すると25〜6年位のブランクがあったと思います。何かのきっかけで再結成をし活動を始めました。1995年にコマーシャル・フォトという雑誌に、コピーライター&カメラマンのピート小林さんが現役時代のブルーマウンテン2の紹介してくれました。(下記) 再結成後の大きなステージは2001年の青山草月ホールでのコンサートでした。クリスマスのチャリティーとして、昔の仲間バンドマイク真木さん他の「モダン・フォーク・カルテット」黒澤久雄さん他の「ブロードサイド・フォー」と私たち3バンドでの演奏でした。(下記チラシ)
メンバー近況・プロモート
最新情報
ブルーマウンテン・ボーイズOB会
ブルーマウンテンボーイズのOB会が開催されました。50年前に結成され25年ほど活動していましたが、引き継ぐ部員がいなくなりその歴史を終えました。2011年創立50周年を迎えましたが、メンバーのOBは毎年6月第一土曜にOB会を開催しています。*以下ブルーマウンテン・ボーイズ・ホームページよりのリンクです。
古希3バンド共演 ブルマン2が、2014年5月 24日(土)曙橋 バック・イン・タウン出演しました。下記のようなLIVEでした。
今回はメンバーの外岡さんにアクシデントがあり出演出来ませんでした。共演のウエイファーリングストレンジャーの林さんにベースをおねがいしました。 おかげさまで超満員で盛り上がっていただきました。北海道から参加のお客様も含め、皆さまの温かい声援有難うございました。
ホールでのワンマンコンサート *2012年12月13日に草加市中央公民館ホール(キャパ400席)で演奏会がありました。久々のブルーマウンテン・ボーイズ2のホールでのワンマン・コンサートでした。休憩を挟んで40分の2回ステージでした。このライブは「草加市オールドカレッジ演奏会」のタイトルで、中高年の文化交流会のイベントでした。年に数回のイベント(美術館見学・スポーツイベント・観劇会等)を催しているサークルの活動の一環で、演奏と「ブルーグラス音楽とは」の講義?も取り入れたアカデミックなものでした。大変好感触で喜んでいただいたようです。
外岡勝彦のBluegrass講座「ブルーグラス音楽とは」
カントリーミュージックとブルーグラス カントリー或いはカントリー&ウエスタンと呼ばれる音楽は、アメリカポピュラー音楽の中で主流の一つですが、何故か日本ではホットなイメージがありません。 カントリーというと多くの人はカウボーイを連想すると思いますが、それはあくまでもハリウッド映画が作り上げた「西部劇」の影響であって、本来のカントリーミュージックとはそれほど深い関係にはなく、そのルーツはかつてアメリカ南東部のアパラチヤ山系に入植したイギリスのスコットランド人やアイルランド人達が祖国から持ち込んだ民俗音楽なのです。
それではカントリーとブルーグラスとの関係はというと、カントリーもブルーグラスも同じルーツから派生した音楽です。通常ではブルーグラスも含めて一緒にカントリーという言い方が一般的ですが、ブルーグラスはカントリーに比べより伝統民謡的な部分を保ち続けて発展し、1940年代にビル・モンローというミュージシャンが一つの音楽ジャンルとして確立しました。それに対し、カントリーは様々な音楽を取り入れて大衆音楽化し、変化し続けているタイプのもので、1947年にレコードデビューしたハンク・ウィリアムスによって爆発的に広がりました。続きはこちらから
ブルーグラスのスター達
食と文化を楽しむ会
*24年3月29日に、江戸時代に建てられた合掌造りの古民家を旧郡山藩穴馬郷(福井県)から移築した鎌倉にある古民家で演奏会をやってきました。本来昨年の予定でしたが、震災のために今年に延期になったものです。ここは瀧下様のご自宅で、屏風・日本画・掛け軸・陶磁器など、家そのものが美術品のようで、映画の撮影にも使われていたようです。滝下邸 のすごいのはbluegrassなどのコンサートもできるスペースがあり、それを認めてくださるところです。今回の企画は青山学院のOB会で、音楽とお食事を楽しむのが目的です。私たちのライブ1部を昼食前に演奏し、別棟でとても美味しい昼食パーティ〜1時半頃からライブ2部〜こんなスケジューでした。今回も60名以上の参加者で、とても暖かい雰囲気のイベントで出演者共々楽しませていただきました。(関係者の皆様有難うございました。)
*23年12月26日に曙橋「バック・イン・タウン」で久々のライブをやりました。今回はブルーマウンテンBの初代、私たち2代目と後輩バンドの3グループが出演し、おかげさまで満員になりました。今後も今回のようなブルマンナイト的なライブを定期的にやって行きたいと思います。お越しいただいた方にお礼申し上げます。当日の写真です。↓
*東北6県青山学院校友会
学生時代のブルマンは何回か演奏旅行を経験しましたが、20年11月15日にリユニオン・ブルマン2としては初めて仙台で演奏をしました。ホテル仙台プラザで東北6県青山学院校友会の集いがあり、アトラクション演奏としてお呼びをいただきました。メンバーは2代目ブルマン(バンジョー井口、フラマン三神、ギター岡田、ベース外岡)にフィドルの阪野君をプラスした5人編成でした。 当日はセレモニー「支部紹介」〜「漫談」に続いて最後に登場しまして、堂々25分間に10曲を演奏し、会場から温かい拍手をいただき「アンコール」の声までいただきました。 久しぶりの大きな舞台での演奏は、聴いていただいている方に満足していただこう、・・・と思うあまりの緊張感は相当なものですが、一方では大勢の人前で演奏できる喜びを改めて感じました。 帰りは真っ暗に暮れた仙台駅ビルの居酒屋で名物の「牛たん」炭火焼きとビール、焼酎で反省会をし、19時26分発で一路帰京しました。ああ〜〜〜あ〜楽しゅうござんした。仙台支部の川嶋さんを始め多くの方々にお世話になりました。ありがとうございました。またチャンスがあったら是非お呼びください。 (外岡勝彦 記)
最近のレパートリー(鎌倉瀧下邸での演奏曲)
*クリックでオリジナル歌手の検索
San Antonio Rose、Old Country Church、Steel Guitar Rag、Home On The Range、I Saw The Light、Angel Band、When I stop dreaming、Blue Moon Of Kentucky、Sweet Things(同名曲が多く検索不能)Wait For The Light To Shine、Four Walls 、Day-break In Dexie(この曲は曲名が2つあります。banjo in the hills ) Red River Valley,whe you kneel at mothers grave、We'll Meet Again, Sweetheart Come Back Darling,(4曲目)Have You Lost Your Love For Me 、goodnight Irene、 Foggy Mountain Breakdown
、
外岡勝彦のブルーグラス物語
僕達が演奏する「ブルーグラス」はカントリー&ウエスタンミュージックの中の一つのジャンルで、その音楽的ルーツは古く、アイルランド系の移民がアメリカに持ち込んだ民謡が東南部アパラチア山脈やケンタッキー地方で新しい音楽スタイルとして変化し、1940年代にビル・モンローという人の手によって、商業ベースにまでに体系付けされたもので、彼のバンドの名前が「ブルーグラスボーイズ」であったこと、又ケンタッキー州は別名ブルーグラス州とも呼ばれていることから、この音楽を「ブルーグラス」と呼ぶようになったとされています。
楽器の編成はギター、5弦バンジョー、フラットマンドリン、フィドル(バイオリン)、ドブロギター、ベースでいずれもアコースティック(電気による音の増幅をしない)が基本です。
さて、ブルーグラスは日本ではFEN放送によりアメリカとほぼ同時に紹介されていたのですが、同じカントリー&ウエスタンミュージックの中でもウエスタンが主流となり、ブルーグラスはむしろマイナーなものでありました。
しかし、‘59年(S35年)にキングストントリオがアメリカンフォークソングの火付けとなった「トム・ドゥリー」を大ヒットさせると、日本でも同じアコースティック系のブルーグラスは主に東京、大阪を中心とした都会の大学生の間で見直され、一挙に注目を浴びることになったのです。
情報コーナー:日本では数少ない(これだけかも・・・)ブルーグラス情報誌「ムーン シャイナー2012・2月号にブルーマウンテン・ボーイズが取り上げられました。http://www.bomserv.com/MoonShiner/index.html (購入トップページ)、初代中島さんのインタビュー記事(誕生秘話)などで構成されています。
|